御来屋地区

令和3年1月 大山町御来屋地区

2021.1 

【お魚センター みくりや】
お魚センター みくりやにおじゃましました。 センターが出来たのは、10年ほど前。(2021年1月現在)
鳥取県漁協が運用しているため、新鮮な魚が多く並んでいます。
今の時期の旬は、『ぶり』 取材でおじゃましたこの日は、約10kgのぶりが並んでいました。

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県内トップの漁獲量を誇るサザエは1年に1ヶ月の禁漁期間以外は、 年中並んでいます。
これぞ御来屋の醍醐味!大きさにより値段の幅はありますが、1個100円〜200円ほどで買えるとのことです。
お話を伺った網田さんは、鳥取市出身。JFかろいちでのバイト時代を入れると8年。
異動で御来屋に来たとのことで、県外のお客様が多いかろいちと地元のお客様が多い御来屋の違いに最初は戸惑ったと話してくださいました。

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【支え合いのまち みくりや】
もともとは、商店が多く、生活に必要な物は、街で揃うほどの商売の街だった御来屋。
現在は空き家が多く、さびれている街をなんとかしようと集まった有志で活動しておられる皆さんにお話を伺いました。


【リチ宿】
御来屋に100軒近くある空き家の一つで、英国出身のリチャードさんか運営されています。 清潔で快適に過ごせるように改装しています。支え合いのまち御来屋のメンバーもゴミ出しを手伝われたそうですよ。

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【みんなの壁画プロジェクト】
交流の促進の一環として、地域の子どもたちに地元での思い出を作ってもらいたいという思いから実施した『みんなの壁画プロジェクト』。
名和小学校と名和中学校の生徒さんから壁画のアイデアを募集し、それを元に大山町在住のアーティスト朝倉弘平さんが構成、デザイン、ワークショップに参加された親子の協力もあり、2020年11月に無事完成しました。
くじらの口の中に子どもが入っていたり、海の中でキャンプしていたり、カニとカニ歩きをしていたり・・ 子どもならではのアイデアがいっぱいです。
壁画の前をステージにして、イベントも開催してみたいということです!

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【名和神社】
地域の歴史に詳しい方々と待ち合わせをしました。
明治16年に建立された名和神社は、別格官弊社。旧名和町の4地区ある集落から各2人の総代が選ばれ、計8人の総代と宮司の9名がいらっしゃいます。

※別格官弊社 国家のために、特別な功労があった人を祀る神社  名和神社には、名和一族が祀られています。


先代の宮司さんが無くなられたため、次の宮司を決める必要がありますが、現在申請中。
5月に行われる春祭りまでには、決まってほしい。と話してくださいました。


昔、名和家の米蔵があったため、神社の裏からは焼き米がでてくるそうです。
いつの時代の米かはわかりませんが、もしかすると名和長年の時代のお米かもしれませんよ!
あと15年で名和長年の没後700年。それまで皆さんもお元気で!

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【みくりやタイムズ】
支え合いの街 御来屋が発行している『みくりやタイムズ』。
海外のアーティストが漁港に描いた壁画のマップが載っていて、最近は訪れるお客さんが増えたそうです。
最初に訪れた、お魚センターみくりやさんの壁にも絵が描かれています。

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【元弘帝御着船所の碑】
前回訪れた際にお話を伺った 塒(ねぐら)さんと再会しました。
隠岐に流された後醍醐天皇が脱出した際、背負って屋敷に匿ったことから由来した 珍しい苗字です。
33代目の塒さんは後醍醐天皇が再起を誓われた地、御来屋の歴史を後世に伝えることを使命に人生を歩んできたと語ってくださいました。
口伝えだった一族の伝承を形に残すため本を出版されたそうです。



平成27年2月放送放送
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左【塩谷糀味噌】
香りに誘われ歩いていると、お店を見つけました!
ここは以前にも伺ったお店です。早速入ってみましたよ(^^)


中【塩谷峯子さん】
店内はすごい湯気!塩谷さんに伺うと、今は米を蒸している最中なんだとか。
麹を作っているところで、今味噌も作っているとのこと!作業場へお邪魔しました。


右【大豆】
こちらの大豆はちょうど蒸しあがったところでした!これが味噌になるんですね!


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左【味噌】
こちらは1月21日に仕込んだ味噌だそうです。寒いと熟成が遅いので、まだまだ大豆の
色のままですね!


右【塩谷拓さん】
以前そぞろ歩きに出演された拓さんが戻って来られたので、お話を伺いましたよ!
現在では社長になられたそうで、バリバリ頑張っておられるそうです。


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左【飾り・・?】
玄関先に変わったものがありました。聞いてみると、漁で使うウキを切って色を塗り花を生けるのに
使っているそうです。

右【下駄道具】
その昔は下駄屋さんの三代目としてやっていたそうです。現在は辞められましたが
当時使っていた道具を大切に残していらっしゃいます。


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左【湊谷さん】
湊谷商事では、変わったものを販売していると伺ってやってきました。
JRの忘れ物を加工して販売を行っているそうです(!)

 

中【加工場】
この中では色々な忘れ物が山積みになっていました。丁度、傘を補修されている
ところでした。多い時では数万本もの傘があるそうです!

 

右【山山山!】
こちらはマフラーが山積みです!そのほかにも、仏像やスキー板、スノーボード、
何十年か前には、定価で700万もする時計があったことも!いやはや…スゴイですね。

 

 

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左【かつての商店】
この辺りはかつて多くの商店が立ち並んでいました。この辺りに詳しい船田さんに
お話を伺いました。

 

中【歴史ある店】
御来屋でも古くからあるお米やさんにきました。伺うと、たぶん7代、8代目じゃないかな
との事!

 

右【売仕切】
お店の壁面には古そうな書面が。これは売仕切と言われるもので、品目・数量・代金等を記した
計算書なんだそうです。江戸後期のものだとか!

 

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左【角田酒造】
酒屋さんがあったので寄ってみました。

 

中【写真】
店主の角田さんが古い写真を沢山持っているとの事で、みせていただきました。
この写真は、明治43年8月の水害被害の線路を復旧している様子のものです。

 

右【写真その2】
こちらは昭和4年の旧正月に行われた御来屋農具市の様子です。通路が人人人で溢れかえって
ますね!かつての賑わいが窺える写真です。

 

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左・右【御来屋漁港の大きな岩(今昔)】
角田さんに見せていただいた写真の名所が今も残っているとのことで、いってみましたよ。
かつて隠岐の島から脱出した後醍醐天皇が腰掛けたとされる、『御腰掛の岩』です。

 

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左【塒さん】
なかなか見ない漢字の表札を見つけました。読み方を伺うと「塒:ねぐら」と読むそうです。
この名字は、後醍醐天皇が隠岐から脱出した時にかつて匿ったことに由来しているんだとか。

 

右【石碑】
塒さんのお宅の前にある石碑には、古くからの言い伝えが記されています。
『戸屋は古へ塒と称す 相伝ふ、帝の賜ふ所なりと』
その当時は“塒”を「とや」と読んでいましたが、明治時代に「ねぐら」と名乗るようになったそうです。

 

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左【たい焼き屋】
御来屋にあるたい焼き屋さんです。境港から買いに来られる方も居られるそうです。

 

中【挑戦!】
たい焼き作りを体験させていただきました!出来栄えやいかに?!

 

右【完成!】
たい焼きが完成しました!ばり(はみ出ている生地の部分)を切って出来上がりです。
ちょっとお腹を掴んで凹んじゃいましたが、たい焼き屋のご主人にも試食して貰いましたよ!
でも餡子苦手なご主人・・(笑)たい焼きは美味しかったです!(^O^)

 

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左【御来屋夕日公園】
公園があるとのことでいってみました!公園の看板がサーフボードで作ってありますね!

中【ハート?】
不思議なハート型の枠?を見つけました。
『ハートをくぐると幸せになれるかも』だそうです。

右【夕日】
夕日側に向かってベンチもおいてありました。この日は少し雲がありましたが、
無かったら綺麗にみえるんでしょうね!