就将地区

2016年5月東倉吉町西倉吉町
2016.5 2016.5
【笑い庵】
笑い庵にあるカフェで住田さんにお会いしました。
こちらの住田さん、加茂川遊覧船の運航など、街づくり活動を行っておられます。
この笑い庵の建物は築150年にもなるそうで、西部地震の際に歪んでいた建物がまっすぐに戻ったんだとか!


2016.5 2016.5 2016.5
【出現地蔵】
笑い庵の敷地内にあるこのお地蔵さん。『出現地蔵』と呼ばれています。
現在笑い庵になっている家に住んでいた木下さんの夢枕にお地蔵さんが現れ、地中から

掘り出して欲しいと告げられたそうです。掘ってみると実際にお地蔵さんが見つりました。
昭和4年に見つかった時の写真も一緒に飾ってありました。すごいですね!


2016.5 2016.5
【カルチャースペース】
笑い庵の2階は学びの場になっていました。この日はうたごえ喫茶が開催されていました。
毎月2回されているそうで、今年で10年目を迎えるそうですよ!


2016.5
【林そば屋】
古くから営業されいるこちらのそば屋さん。創業は大正9年!


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【木野山神社】
この地域に長く住む松寺さんに案内をしていただきました。
米子で一番ご利益のある神社とのことですが・・・。
「参拝者が少ないから願を叶えて頂きやすい」とのことでした(^^)
この神社は大正時代に疫病が流行った際に建てられたそうです。


2016.5 2016.5 2016.5

【昔の旅館】
西倉吉町にはかつて多くの旅館があり、現在も唯一その様子が伺える建物があるとのことで伺いました。

こちらは築100年だそうで、中には表から裏口まで続く土間や箱階段など、時代劇の一場面に

入り込んだようでした!現在はもつ鍋屋さんとして営業されているそうです。


2016.5 2016.5
【みどり小路】
この地域の道に詳しい川越さんにお話を伺いました。
明治から大正時代、こちらの小路を挟んで長屋があり、芝居小屋や映画の弁士が住んでいました。

通称『弁士長屋』と呼ばれていたそうです。この地域は昔みどり町と呼ばれていたため、みどり小路だとか。


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【米子城の梁】
町屋の中には何軒か米子城の梁を使った建物があるそうで、見させていただくことに!
「ふとい梁ですね〜!」


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【梁があるバー】
こちらのバーにも梁があるそうで見せていただきました!元々はこちらの建物は蔵だったそうです。


 

平成27年7月放送 愛宕町・祇園町

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左【多くの盆栽】
歩いていると道沿いに沢山の盆栽がビールケースの上に並べてありました。

中【安達さん】
手入れをされている安達さん。盆栽の上に犬の置物などがあり、通常の盆栽の見せ方とは違いますね、と伺うと『あったから置いた』とのこと(笑)

右【新加茂川】
安達さんはずっとここに住んでいるそうで、町の様子や景色は変わりましたか?と伺うと川幅が2倍になったとの事。
昔は川で水泳したり魚を採ったりして遊んでいたそうです。


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左【avec vous】
気になる看板を見つけました。なんて読むんだろう・・・。
聞いてみると、『アヴェ ブー』だそうです。
フランス語で“あなたと共に、一緒に”といった意味合いだそうです。

右【三代さん】
何のお店か聞いてみると、リンパマッサージのお店だそうです。
自宅でお店をオープンさせてまだ1ヵ月少しなんだとか。


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左【総泉寺】
10年前のそぞろ歩きの際にもお邪魔した総泉寺へ。
米子の歴史に深くかかわるこのお寺は1600年頃に建立され、江戸時代には関所の役割も担っていたそうです。
現在の建物は1842年頃に建て替えられたものです。
明治時代には、明道小学校の前身として使われていたそうです。

右【坐禅堂】
この辺りのお寺には珍しい部屋があると伺って、見せていただきました。坐禅が出来る部屋でした。
こんな感じかな?座ってみました。
こちらでは、定期的に座禅会をされているそうです。


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左【感応寺】
米子城を完成させた中村一忠が眠るお寺。
米子城主の菩提寺として完成させたお寺だそうです。

右【中村一忠木像】
築城中の米子城を完成させ城下町を整備二十歳の若さで急死しました。こちらは感応寺に置かれている木像です。


2015.7
【インド人のご夫婦】
道を歩いている外国の方を見かけて声を掛けてみました。
今からイオンに行くそうで、米子に住んでいるインドの方でした。


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左【七人の侍?】
神社の境内で作業準備をされる方々をみつけたので話を伺ってみました。皆さん祇園町の方々で、
登山道の整備をされているそうです。愛宕山の『登山道を作った七人の侍の中の4人』なんだとか。

中【鶴と亀】
階段を上がっていると、気になる像を発見しました。鶴と亀をモチーフにされていました。
これは、このお寺の以前の神主の方がシベリア抑留されていた経験から、氏子の方々皆さんに長生きをして欲しいとの思いで、作られたそうです。

右【深浦神社本殿】
こちらが深浦神社の本殿ですが、本殿には祇園神社の名が掲げられています。これは、京都にある祇園神社の流れを汲んでいるからだそうです。


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左【祠】
登山道の入り口手前には祠が建てられていました。
こちらの祠の前には十二支の石像があり、十二支を知らない子ども達に覚えてもらえたらという思いで、現在の神主さんが置かれたそうです。

中【登山口】
祠の奥に登山口の入り口が見えました。ここが皆さんが整備された道ですね!
さっそく行ってみました!

右【登山道内】
登山道には、愛宕山の中で雪害等で倒れた木を再利用した階段やベンチなどがありました。
また、山から見下ろした市内は橋や中海が良く見えましたよ。


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左【木の説明】
堀さんが担当という、木の説明が書かれた板がところどころにありました。
木の名前や種類、どういった用途で使われることが多いかなどが書かれています。

中【山道】
皆さんと一緒に山頂を目指して歩きました。昔は学校の帰りに山に来て遊んでいたそうです。

今の子どもたちにも通学路として利用して色々自然に触れて欲しいとおっしゃっていました。

右【山頂】
愛宕山の山頂に着きました。ここにも手作りの看板が。「標高76M」
山頂にはカップルで座るのにちょうど良いベンチも設置されていましたよ!(^^)
適度な運動にはぴったりのコースですね。春には山桜も咲いて綺麗だそうですよ。


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左【公民館】
祇園町の公民館へやって来ました。この日はいきいきサロンの寄り合いがあったそうで、皆さんが集まっておられました。

中【サロンの様子】
4年前から独居老人を集めて開催されているサロン。これまでも色々なイベントをして、交流を図ってこられたそうです。

右【芸達者な皆さん】
この公民館には舞台や通信カラオケなどがあり、メンバーの皆さんが色々と芸を披露されているそうです。

今回メンバーの荒瀬さんに急遽演じてもらいました!(^O^)/


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左【農園】
皆さんが丹精込めて作っておられる農園に連れてきていただきました。
色んなものが栽培されてますね!この農園は市から、祇園町2丁目の自治会長が借りている場所なんだとか。

中【収穫】
きゅうりを収穫しておられたので見せていただきました。立派なきゅうりですね!

右【桔梗】
こちらでは桔梗を栽培されていました。綺麗に咲いてますね(^^)
皆さんの健康の秘訣はこの畑にあるのかもしれませんね!!


平成26年2月 末広町・塩町・大工町

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左【塩町のお社】
左側にあるのが、胞衣(えな)荒神・・・胞衣とは赤ちゃんが胎内で育つ時の胎盤などのこと
子供の成長を見守ってくださると信仰されているそうです。
右側にあるのが、お大師さん・・・いなばや七左衛門が1800年ごろ四国霊場を小規模にして設置したもの
ここ塩町のお大師さんは16番目の霊場として祀られているそうです。


中・右【町今昔】
かつて道の真ん中に線路(引込線)があり、鉄工所から作られたものがこの引込線を使い米子駅まで運ばれていたそうです。その道も今日では生活道路として使われています。

 

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左【ウォーキングクラブ】
3月にあるウォーキングに向けて、ウォーキングクラブ未来の皆さんが遊歩道の下見にこられていました。
さすが普段から歩いてる方々!僕のそぞろ歩きシューズに気付かれました!


中【趣味の油絵】
趣味で絵を描いておられる尾沢昇さんのお宅にお邪魔しました。
今年は個展を開催されるとのことで、描き溜めた絵を見せていただきました。


右【30周年記念誌】
尾沢さんは、以前就将公民館の館長をされていたそうで、任期中に公民館の創立30周年を記念して記念誌を作られたそうです。今では貴重な写真の数々が掲載されていました。

 

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左【かつての米子城の外堀】
内田克巳さんの写真集“米子”の中にある米子城の外堀の跡地を探して近所の方に案内していただきました。
この写真に写っている外堀の水辺で子供時代遊ばれていたそうです。


中・右【ガイナックスシアター/ほのまるの二人】
駅前イオン内のガイナックスシアターに立ち寄り、運営スタッフの実繁さんに館内を案内していただきました!
多目的に使える場所として新名所になりそうですね。鳥取住みます芸人のほのまるの二人も下見に来てましたよ。

 

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左・右【ローダン】
ローダンのラーメン屋さんに立ち寄りました。オープンから20年だそうで、『ローダン』の名前の由来を
教えていただきました。考える人の「ロダン」と「ローラン」を足した造語だそうです。
夫婦二人三脚で営業されておられました。


平成17年4月



左【米子市西町】 西町は米子城下への入り口として栄えました。 城下玄関口だったこの町には、城主荒尾氏の家臣の屋敷などが建ち並んでいました。  


中【裁判所】 鳥取県西部の民事・刑事・家事・少年事件を扱っています。 平成21年から、国民と裁判官が話し合い刑罰を決める裁判員制度が導入されます。 皆さんも裁判員になる機会があるかもしれませんね。
 

右【鳥取大学医学部】 昭和20年に官立米子医学専門学校として開校。 軍医だった当時の米子市長・斎藤千城が文部省に積極的に誘致を働きかけました。戦争協力体勢の流れの中での設立でした。


 
左【村河家屋敷跡】 鳥大医学部キャンパス内に、城主荒尾氏筆頭家老・村河家の屋敷跡を示す碑があります。 村河直方は、米子の新田開発や殖産興業の発展に尽力しました。


中【鳥取大学医学部付属病院救命救急センター】 平成16年10月に設置された救命救急が必要な患者は 一日平均2〜3人くらい。 7名の先生たちが交代で、24時間365日待機してます。


右【港山公園 鳳翔閣跡】 鳳翔閣は、戦前までは貴賓宿舎、戦後は教育会館として使用。 昭和36年頃老朽化のため解体されました。  現在は、庭にあった松と庭石が残っています。


 

左【港山公園弁慶石】 庭園にある大きな石には、武蔵坊弁慶が子供の頃中海にある島から投げたという伝説があります。


中【港山公園の桜】 桜は昭和52年頃植えられた。シダレザクラ、八重桜など450本が植えられています。この日は花見客で大変賑わっていました。


右【加茂町・西町で出会った皆さん】




左【米子市加茂町】 加茂町は米子市の中心部に位置し、およそ500人が暮らしています(平成17年4月現在)。 大正4年に堀瑞町と宮町の一部があわさって加茂町となりました 。


中【賀茂神社天満宮】 創建は1300〜1400年代。 「米子」の地名の由来となった伝説が残っています。 老年になっても子宝に恵まれない女性が、賀茂神社の湧き水で清め朝晩お参りをしました。
この甲斐あって、八十八歳で子宝に恵まれました。 八十八歳は米寿の祝いである事から米子と名付けられました。


右【宮司 須山倫史さん】   




左【天津甘栗のお店「三和」】 昭和47年創業の天津甘栗屋さん。  ホクホクで甘みのあるおいしい甘栗です。  


中【佐々木昌平さん】  


中【内藤鮮魚店】 米子の下町で40年以上続く魚屋さんです。 朝仕入れた新鮮な旬の魚がずらりと並んでいます。 内藤さんの奥さんと娘さんが作る惣菜は絶品です。


右【内藤孝義さん】


平成17年3月



左【米子駅】
米子は山陰の商都と言われ、江戸時代から明治まで米子の地域が商業活動の中心になっていました。鉄道を敷設するための出張所として鉄道管理局をおいたと言われています。

中【昭和38年の米子駅】
昭和38年3月1日に建てられました。

右【キタロウ列車】
平成5年「ゲゲゲの鬼太郎列車」の運行が始まりました。米子駅の愛称として「ねずみ男駅」とも呼ばれています。




左【江戸兵鮨 上田さん】
鮨屋としては昭和32年くらいから営業をはじめられたそうですが、先代は「めしや」として戦前から駅前で営業をされていたそうです。
昔の駅前の様子をご主人に聞かせていただきました。

中【ふるさとの想い出】
松尾陽吉さん編の【「ふるさとの想い出」写真集明治・大正・昭和米子】にはにぎやかな駅前などの写真が載っています。

右【昔の駅前】
昭和10年頃には通勤時間になると、歩道いっぱいに人がいたそうです。そして、道には闇市があり、「かつぎや」と呼ばれる行商人でにぎわっていたそうです。食料品が主で、魚や野菜お菓子などが売られていたそうです。




左【米子コンベンションセンター ビッグシップ】
国際会議・演劇などの催しがあり、全国からの集客があります。

中【元町サンロード】
その昔、車がなかった頃周辺に住む人が、列車で米子駅まで来て、駅前通りを歩いてきて、ここから商店街に入って、買い物を楽しんだそうです。

右【ワールドザッカ コメッツ】
手作りの物を重視して集められた雑貨屋さんです。30歳代を中心に客の年齢層は幅広いです。カウボーイハット・ウエスタンブーツ・ウエスタンのシャツなどが置いてあります。
お店のオーナーは米子駅前商店街が、以前のような活気が戻るように努力したいとおっしゃっていました。


左【フジメガネ】昭和25年頃に駅前にお店を出されたそうです。お店の方にお話を聞くと、駅前は買い物に便利で、医療機関も充実しているのでとても住みやすいとおっしゃっていました。 今ではマンションも建ち、新たに若い人たちが住居を構え、活気のある街になってきたそうです。

 

右【中江 藤樹】江戸時代初期の儒学者で、日本の陽明学の開祖といわれた人物です。幼少の頃、米子城主加藤貞泰の家臣だった祖父吉長と、この地に暮らしたといわれてます。「徳育知行合一(とくいくちこうごういつ)」の藤樹精神は今日まで受け継がれているそうです。 そして、この石碑のそばに植えてある藤の木は、近江の生家(滋賀県)から株分けされたそうです。

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